変化への恐怖

iPhoneのOSをアップしたことを契機に、macOSからAdobeのソフトまで最新にせざるを得ない状況になり、今とっても苦労してます。

モリサワしかり、アドビしかり、アップルしかり、一社独占状態ゆえに起こる乱暴かつ無意味なアップデートという問題はあるとしても、とどのつまり、いま自分が感じている苦しさは「変化への恐怖」なのだと、ヨガをしていて気がつきました(どんよりした気持ちを切り替えたいと思いあえてレッスンに出ました。なぜかすごく集中できた気がする・笑)。

「変化をしなければ生き残れないが、変化を求める限りアンバランス(=苦しく)にならざるをえない。しかしそれを拒めば、じりじりと滅びるだけ」という価値観があり、それはそれで一理ある気もします(じゃあ「100年以上続いている老舗」のような商売がたくさんある日本ってどうなんだよ?という疑問もあり、これもまた検証に値するテーマではありますが)。

ブックデザインという限定した世界の話でも、ある程度の年齢になりつついまだ現役で生き生きと仕事をしているデザイナーは「とにかくミーハーに新しいものに変えていく」という面がある気がします(なぜ講談社装丁賞を取ってないのか不思議でならない多田和博氏はそのようなことを言っていたと思う)。

とはいえ、実際自分がその状況になると、変化って辛いですなぁ。

ライセンス制になり、現状ポンコツなこのソフトのために毎月一定額を、自分がこの仕事を引退するその日まで払い続けるということを思うと、まるで奴隷になったような気分になりますが、見た目がガラッと変わった割に触ってみれば構成や機能は古いバージョンとほとんど変わらないということも理解できつつあり(作った側は変わったことを見た目でアピールしたいんだろうけど、自分からすれば見た目の変化自体に強い拒否反応が出るのでやめたほうがいいと思う)、また、もう、すぐにでも仕事をやらなくてはならない状況なので、新しいソフトにもすぐ慣れると思います。

そして、ポンコツなソフトが正常に立ち上がらない状況に陥り続けているなかで自分のマインドは「もうなんでも試してやろう、どんどん新しいもの入れてしまえ」という感じに変化したようです(例えばグーグル文字変換。どうせグーグルには情報吸われ放題だし、究極なこと言えば吸われて困るような重大な秘密なんか自分には無いし(せいぜい誰かのツイートで名前を知り、エロいものを検索したくらい?)、何かあったとき自分を証明するには全部ログを残して皆に見える状況であるほうがむしろ防御になるんじゃないかとすら思い始めています)